昨日午前中に、七味姉さんを庭の一角に埋葬しました。
小さな体はあっという間に土に還ることと思います。
七味が流動食生活にはいってしばらくは、それはそれは激しく抵抗し、毎日私の手に引っかき傷が
増えたのですが、それも1週間を超える頃には新しい傷が出来なくなりました。
嫌がりはするものの、払いのけようとする足は力を失い、私の手に届かずに空を切る方が多くなって
いきます。
そして、七味が亡くなる前日の夜、いつものように強制給餌を行っていましたが、その時にはもう
ほんの少しの水分しか飲み込めなくなっていました。
無理に口に入れても飲み込まず、そのうち口の端から流れて・・。
その時はそれ以上与えるのを止めました。
そして、27日の朝4時頃。
給餌の際に、七味を出して一度床においたのですが、自分でうずくまっている姿勢すら取れなくなり
頭の方からふぅっと、横に倒れてしまいました。
起き上がろうにも自力で立てず、手足をばたつかせるだけ。
それを見ていよいよダメだと思い、強制給餌を行うのを止めました。
弱った体に栄養分を何も与えない事は、死を意味する事になりますが、死なず生かさずの給餌を
これ以上続けて、七味の苦しみを長引かせるのは、七味に生きていて欲しい私のエゴだと思ったからです。
もちろん、迷いもありました。
私の行いが、七味の命を握っていると思うと、怖かったです。
しかし、そんな時に「安楽死」について書かれた記事を読みました。
>日本でよくあることなのですが、犬がガンやその他の慢性疾患により立てなくなったときに日本人は安楽死を選択しません。
犬がどれだけ痛みを持ち、立てない・歩けないことで精神的な【苦しみ】を抱えるか日本人は軽んじてみています。
犬が動物として本来持ち合わせる正常行動を発揮できないと言う苦しみを考慮するよりも、本能で備わっている食欲というものをその個体の生きたい力と理解し、そのまま犬に苦しみを与えたままいよいよその苦しみと痛みが極限に来るまで生かします。
これは、「七味が自分でご飯を食べる間は生きたいと考えているんだ」と思っていた私に衝撃を与え
同時に、強制給餌をやめた事によって感じていた罪悪感を、少し軽くしてくれました。
もちろん、みなさんお分かりだと思いますが、これは安楽死を簡単に考えているわけではありません。
あくまで最終手段であって、動物のためを思った「尊厳死」であるとご理解下されば幸いです。
私自身、病気のペットを安楽死させるという考えに、抵抗がありました。
動物が自ら死にたいと思うはずはなく、安楽死を選択する事は、ペットが苦しむ姿を見たくない
飼い主側の言い訳だと思ったからです。
そのことを正直にドイツの獣医師 Kyoko Alcherさんに伝えたところ、このような一文が。
>動物は自ら命を断つことができないということを考えると動物は常に一方向「生きる」ということしかできないわけで、しかしそれはこの場合の動物が耐える痛みと苦しみというものをどこまで動物個体に背負わせるかが問題なのです。
弱った動物でさえ「生きたい」とがんばっているのではなく、彼らは「生きることしかできない」のです。
辛い言葉でしょうけれど「生きることしかできない苦しみ」というものがお分かりになりますか?
もう目から鱗でした。
安楽死についてもう少し詳しい話を読みたい・考えた方は、
ひよりさんの
「ラブラドール日和」か、kyokoさんの
「Bodai Blog」へどうぞ。
とはいえ、七味を病院へ連れて行って「安楽死させて下さい」ともいえず、結局強制給餌を止めて
約13時間後の夕方5時頃に、七味は息を引き取りました。
亡くなる日の午後は、仕事を休んで七味のそばについていました。
15時頃、七味を居間へ連れて来て、ホットカーペットの上に寝かせて、私もその横で添い寝しました。
七味が体勢を変える衣擦れの音や、口をもごもごと動かして歯がカシカシと鳴る音を聞きながら
うとうとし、たまに布団をめくって、息をしているかどうか確認する。
そんな事を繰り返していましたが、はっと気がつくと、もう七味が息を引き取っていました。
それが、16時55分頃のことです。

そして、昨日の午前中、七味を土に還し、無事に送り出すことが出来ました。
以下は、七味が亡くなってからの写真ばかりとなりますので、見たい方だけどうぞ。。
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- 2008/02/29(金) 11:38:48|
- 七味姉さんの毎日
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